【審査員】
委員長 内藤 廣氏(東京大学名誉教授・内藤廣建築設計事務所)
委員 出澤 潔(長野県建築士会名誉会長・出澤潔建築設計事務所)
委員 関 邦則(長野県建築士会長・(有)関建築とまち研究室)
人が暮らし生き、そして死ぬ場所として設計される住宅は、設計するにあたってもっとも難しいテーマであると思っている。この思いは、3.11以降より強いものになった。30年以上前のことになるが、若い頃、当時90歳近くになっていた故・村野藤吾から、「一度でいいからちゃんと満足のいく住宅をやってみたい」という独白のような言葉を聞いて、とても驚いたのを覚えている。住宅は学生でもそれらしいものは出来るが、突き詰めて取り組めば終わりのない挑戦のようなものだと知った。
その住宅を審査の土俵に上げてアレコレ言うのは、実は苦痛以外の何ものでもない。敷地の状況は違い、建て主の思いも違い、コストも違う。本来、一律には評価できないものである。それぞれ異なる苦闘が在るに違いなく、それぞれそれを乗り越える努力の仕方も違う。これは住宅のみならず、広く一般建築にも当てはまることだと考えている。
さて、前置きが長くなったが、住宅部門で最優秀賞を獲得した「屋根の家」には、強く惹かれるものがあった。まず、最低限、雨や雪から暮らしを守る。単純で分かりやすい構成だ。こういう建物を見ると、難しいディテールや繊細なおさまりなど、建築家が勝手に創り出した妄想なのだ、と思えてくる。これでいいのだ。わたしがこの地方で、自分が暮らすために建物を設計するとしたら、こんな感じになるのではないかと思った。3.11の何もない被災地にも、この建物なら似合うだろう。おおいに共感したので、これを最優秀賞とした。
一般部門については、おしなべて元気のなさを感じた。景気が悪いからといって、建築までそれに歩調を合わせることはあるまい。こんな時代だからこそ、この風土ならではの建物の在り方を力強く打ち出すべきだろう。この地に生きる、その覚悟を空間や建築から感じたかった。今後の健闘を祈りたい。
個別の異なる事情を承知した上で、応募をつのり、賞を差し上げることは、切磋琢磨する場を提供することであるし、これを土台として議論を戦わせることは、建築界の発展には欠かせぬことであると考えている。この意味に於いて、事務局有志の努力はけっして徒労ではないと信じたい。ご苦労様でした。
わたしをはじめとする審査委員の眼力のなさを批判し、酒のつまみにすることも、おおいに結構である。長野県の建築家の士気を鼓舞し高揚するために、甘んじて受けたいと思っている。3.11以降の新しい時代の新しい地方の価値が、ここから生み出されていくことを切に希望したい。
(審査員長 内藤 廣)